一昨日、朝から倫理法人会でゲストスピーカーとして講話をさせていただきました。
タイトルは「高知だからこそ見つかった、ボクの生きる道」。
毎回、講演やショーのあとは反省ばかりです。
余韻に浸っているのもありますが、一人脳内反省会が始まります。
今回の最大の反省は、話しながらてっきり時間オーバーしていると思ったら、2~3分時間が余っていたこと。
その最後の2~3分でもっと伝えられることがあったのではないかと妄想が始まりました。
以下は、伝えられなかった最後の締めの言葉です。
「ボクの人生の転機となったのは、もちろん今の会社(リーブル)に入社したことなのですが、
実は高知に来て最初の、鬱になるほど辛かった3年間がボクにとってはとても意味がありました。
仮に、高知に来てすぐリーブルに入社していたとしても、今のような自分になっていなかっただろうし、
社長にもなっていなかったように思います。
地獄のように辛かったあの3年間があったからこそ今の自分がある、とはっきりと言えます。
今となっては、その3年間がとても大切な宝物のような、キラキラ輝く愛おしい時間だと思えるようになりました。
「過去と他人は変えられない」という言葉をよく聞きますが、過去から学び、自分が今を未来を変えようと努力し成長していけば、
忘れてしまいたいような過去や他人に対する捉え方や見方が変わり、心から感謝できるようになりました。
ボクは「高知に来て本当によかった」「高知に来て本当に救われた」と心から思っています。
だからこそ、社長に選んでくれた会社の仲間たちとともに、そして温かく高知愛にあふれる皆さんとともに、もっと高知を盛り上げていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
ご清聴ありがとうございました。」
と、ここまで妄想していて、自分の中でふと気づきました。
今、周りからは「大変なときに社長になったね」と言われ、自分でもその通りだと思っていましたが……
そう、コロナ禍でとても厳しい状況ですが、
10年後に今を振り返ったときに
「あのコロナ禍があったからこそ、今の会社がある」と言えるようにしなければならないということです。
「ピンチはチャンス」という言葉はあまり好きではないし(ピンチはやっぱりピンチだ)、
「ニューノーマル」とか「withコロナ」という言葉などにもまだ少し違和感もあるのですが、
こんな厳しい状況だからこそ、逃げずに、もがきながら、知恵を振り絞って、助け合いながら、
いろんなことに挑戦していかなければならない、とあらためて気づかされました。
厳しい現実や自分の至らなさをきちんと受け止めて向き合って、
それを克服し乗り越えていけば強くなれるということを身をもって知っているボクだからこそ、
コロナ禍の終息をただ願うだけではなく、できることに精一杯取り組んでいきたいと思います。
朝からの倫理法人会さんの熱い朝礼に刺激されてか、心に火がつきました。
代表取締役 坂本圭一朗