読書ノートNo.2
書名 『希望・まめだ先生と朝倉ゼミナール』
著者名 森 尚水
出版社名 リーブル出版
久しぶりに森尚水先生に会った。
数回見かけたり一言二言話したりすることはあったが、お仕事をいただけるということで話すのは10数年ぶりではないだろうか。
森先生は私の最も尊敬する先生の一人だ。しかし親しくなるきっかけはとってもあっけなかった。
県教組の仕事をしていた関係で見知っていた程度だったと思うが、ある日近所のスーパーでばったり出会ったことがあった。
型どおりに頭を下げてすれ違おうとした、ちょうどその時先生が、
「そうや、今度出したい本があるので、一回相談に行きます」と突然、ぽつんと言われた。
私はびっくりして、ただただ「それはありがとうございます。ぜひお願いいたします」と言ってそのまま別れた。
まだ出版部を立ち上げたばかりだったので、そんな私に、なんで仕事を依頼してくれるんだろう、ととても不思議な気持ちがした。
信頼してもらえる何かを感じてもらえたんだな、ということがとてもうれしかったのを覚えている。
それ以来、たぶん「まめだ先生」という四コマ漫画本も合わせると、10冊は本を出していただいたと思う。
先生との本作りはいつも楽しかった。こちらを信頼していただけているのが肌で感じるのだ。
細かなことは一切言わなかったけれど、いつも満足していただいたと思う。私は先生の本を作る喜びをいつも感じていた。
なぜ先生とはそういう関係でいられたのだろう。
先生についての私の大好きなエピソードがある。先生が会社に来られる日はいつも決まっていた。それは先生がボーナスをもらった日だ。
その日にオンボロのカブに乗ってきて、私の前にまだ封も切られていないボーナス袋を出される。「何ぼ残っていたかね」と支払残金を聞かれる。
「○○円です」というと、封を切ってそのお金を支払って、それではまた、と言って帰られる。
そのお金に執着しない潔さが私にはまぶしく、こんな生き方をしたいものだ!と思いながら毎回見送っていた。
その人にお金の価値を超えさせてしまう本。
「自費出版するとはこういうことなのだ!」
それが私の出版に対する思いの原点となった。
今回の本はそんな森先生の教育に対する思いの集大成ともいうべきものだと思う。
私はこの本で、なぜ先生が、何種類もの病気を抱えながら、細長く糸を引くような命の炎を揺らしながら、
子供たちを徹底して主人公にする教育、自分の私財を投げうって打ち込まれている出版やゼミナール活動、
死の瞬間まで子どもたちを育てようという意志を貫かれようとするのかをはじめて知った。
先生もまた、優れた教育者に育てられた子どもであったのだ。その恩返しを今実践されているのだ。
人生とはペイフォワードだと思う。
自分が与えてもらった幸せを、その人にではなく、次を担う者たちを幸せにすることで、次を託していくことこそが、生きる目的なのだと思う。
私はそんな尊敬する先生が、私を選んで出版してくれたことをとても誇りに思う。
教育とは、その人が生きるために困りそうなことやと困ったときに、解決できる力をつけてやることだと思った。それは会社でも同じだと思う。
子どもから成長して大人になっていく過程で、分からないこと困ることは、星屑の数ほど起こるものだから、
その時々に対応できるようにしてあげることが一番大切なことなのだ。それをしなければ人を育てたとは言えないだろう。
2012年10月 新本勝庸 読書ノートより